読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まるまるこふこふ

数々の次元が崩壊し、全ての生命が塵と化すのを見てきた。私ほどの闇の心の持ち主でも、そこには何の喜びも無かった。

努力と才能について所感

努力と才能

こんにちは。さいです。「努力」と「才能」よく対比される概念ですね。こちらの記事を読んで、努力と才能の話について思い出しました。

chokudai.hatenablog.com

先日、二人の競技プログラマが入社した。二人とも、TopCoderのAlgorithmのレーティングも僕より高い、格上の競技プログラマである。社長としては嬉しくはあるが、選手として見れば中々難しいところである。社内レーティングランキングが4位にまで転落してしまった。

まぁ、そんなことはどうでもいい。問題はここからだ。

彼ら二人の会話を見ていて思ってしまった。

「僕にはたどり着けるわけがなかった」と。

理由は極めて簡単。彼らのしていること。彼らの日常会話。それの、ほぼ全てが、「競技プログラミング」に繋がっているように見えたからだ。とにかく、数学的な、パズル的な、そんな思考を繰り返している。仕事中でも、仕事が終わっても。

持論の話なのですが、人が天才を見て、どうして天才と感じるのかといいますと、別にその人の結果がスゴイだけでは天才とは恐らく感じないと思います。人はなにかしら目標に向けて時間を費やしており、その延長線上にスゴイ結果にたどり着く未来が思い浮かべられれば、天才とは感じません。

天才とは、その人の行動や習性が明らかに異質で、かつ圧倒的な結果を出していると、人は「この人には勝てない」と感じます。明らかに自分とは異なる行動で、自分より先に目標にたどり着いている人間を見ると、今の自分の努力方法ではその成果に辿りつけないと考えます。

努力と才能というのは人によって定義が曖昧で、定義によって、論じる内容も異なってしまうので、一旦今回の記事における努力と才能の定義について整理しておきましょう。

努力と才能についての定義では、こちらの動画の内容が僕はすごくしっくりきています。

www.nicovideo.jp

努力とは目的のための有意識的行動であり、才能とは無意識行動によって得られたもの

努力によって得られたものを成果、才能に至る言葉を習慣と名付ける

努力は過程で才能は結果

表にするとこういうことです。

過程 意識 結果
努力 有意識 成果
習慣 無意識 才能

努力とは過程であり、対として語るならば、同じ過程である習慣を語るべきであり、 努力は意識を持って行う行動、習慣は無意識に行う行動です。

努力による結果を成果と呼び、習慣による結果を才能と呼びます。

ここで習慣という言葉が出てきます。才能がある人間は、 頑張っている/努力しているという意識すらなく、 無意識に行う行動によって才能を積み重ねているということです。

無意識に習慣によって行う利点は、圧倒的に長い時間をかけられるということです。 才能も成果も、時間を費やした結果であって、努力 or 習慣のどちらかによって得たかの過程によって 結果をカテゴライズしたに過ぎないのですが、努力に比べて習慣の方が圧倒的に長い時間をかけられる分、 才能の方が成果より大きくなることが多いです。

つまり天才とは、頑張っているという意識すらなく、無意識による行動で才能を積み上げて評価される人あり、努力家とは、やる気ドリブンで成果を積み上げて、積み重ねて評価される人です。

上記画像は、主題とはちょっとズレる画像ではあるのですが、やる気というのは出たり出なかったりする運要素であることを述べています。有意識であるがゆえに継続し続けることに非常にエネルギーを費やします。

僕は、競技プログラミングをやっていた、といっても、業務で触れていただけだ。日常ではない。だが、彼らにとってはそれが日常だった。

僕は「競技プログラミングの選手」ではあったかもしれない。だが、彼らのような「競技プログラミング星人」ではなかった。それがこの差なんだなぁ、と、ここ数か月で非常に感じた。

少し前の僕は「才能が違うのかな」と思っていた。そんなんじゃない。才能だったら自分だってある程度はある。致命的に違うのは、生き様だ。

なるほど。これは勝てるわけがない。

高橋直大さんが述べているように、これが努力と習慣の違いです。ここで述べられている日常/生き様が 私の述べる習慣のことだと考えています。日常/生き様レベルで目標に向けた行動ができる人は、 努力に比べて圧倒的に長い時間を費やせるので、結果も圧倒的に大きくなります。

どうすればいいのか

さて、努力と才能の話にて「才能とは、習慣による圧倒的長い時間を費やして生み出されたものである」という話をさせていただきました。 それを踏まえて、僕達はどうすればいいのでしょうか?

1つは、同じように習慣によって圧倒的時間を費やすことです。今努力して行っていることを習慣化してしまいます。 日常の行動は全て自分が目指している目標のために費やし、それ以外の行動は全て捨ててしまいます。

また自分の周囲の環境も変える必要があると思います。自身が当然としている行動基準が、 他の人からすれば異常じみてることを知れば、無意識に行動基準を下げてしまうのが、社会性のある人間の習性です。

天才とは自分が普通であると疑わない愚か者でなくてはならない

先ほどの動画でも述べられています。

X分野における天才に、X分野で真っ向からぶつかっていく方法もあります。一方、 X分野のうちの x1 にフォーカスしてぶつかっていく方法もあります。 高橋直大さんもそういう方向で勝負していくようですね。

他にも X分野だけでなく、Y分野も身につけて、X+Yで勝負していく方法もあります。この辺、X分野の天才とどう戦っていくかは人それぞれだと思います。

私は愚かなので、もう少しX分野に真っ向からぶつかっていこうと思います、今有意識的に行っている行動を無意識に行えるようにすることで。

終わり

今回のお話では努力について、「方法について考えながら努力すること」を、努力と呼びました。「何も考えず愚直に練習を重ねることを努力と呼び、そうした努力をするべきでない」と唱える人もいますが、今回の話ではそちらの努力の話はしませんでした。