動物化するポストモダンを読んだ
オタク系文化について社会学・哲学といった知識背景を元に論考してる本。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/11/20
- メディア: 新書
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2001年に出版された本であり、既に様々な人たちによって
賛否両論がなされている内容ではあるが、私自身まだ本書の内容を咀嚼しきれていないので
この場ではメモ書き程度に本書の内容について感想を述べるだけにしたいと思う。
オタク系文化
オタク系文化について述べた本ではあるが、本書で扱っているのは主に
アニメやゲーム、それも二次元美少女キャラが出てくるものに限られている。
特撮やアイドルといった三次元を主体とする文化については本書の内容は
当てはまらない。
(一方、そういった三次元のオタク文化について本書のキーワードを利用して
語ってみるのは面白そうな試みではある。)
オタク系文化と日本の伝統文化
これまでオタク系文化は日本の伝統文化と比較して語られることが多かった。
大塚英志は「物語消費論」にといて二次創作と歌舞伎・浄瑠璃の比較を行い、
岡田斗司夫は「オタク学入門」で作品の趣向が江戸時代の粋に直結していると
述べている。
一方私はオタク系文化が日本の伝統文化をバックグラウンドにしているとは思えなかった。
アニメの演出技法については歌舞伎や浄瑠璃の演出技法が継承され、
フィギュアの造形に関しては仏像や彫刻といった造形に通ずるものがあるのかもしれない。
だが現代のオタク系文化の主たる要素は「キャラ萌え」と「キャラに付随する物語」であり、
それらは日本の伝統文化というよりむしろ戦後流入してきたアメリカ文化の影響を受けていると
私は思う。
(本書でもキャラ萌え・物語性・アメリカニズムといったワードで触れられている)
日本のアニメ・コミックは海外でも人気があるそうだが、
それはアニメ・コミックがそもそもアメリカニズムを継承した文化だからなのか、
あるいはアニメ・コミックから感じられる日本文化が彼らにウケているのかどっち
なのだろうと思った。
二次創作
大きな物語の喪失
ポストモダンを語った論評ではどのような分野への言及であれ「大きな物語の喪失」
という言葉は使用されることが多い。
大きな物語とは宗教やイデオロギーなど人々が価値観を共有し、行動づけられていたものである。
70年代頃、学生が中核や革マルといったイデオロギーを持って学生運動を行なっていたのは
大きな物語がまだ存在していた頃。
一方、現在では人々が共有できるような大きなイデオロギーは見当たらず、
大きな物語は喪失したと言われている。
本書でもガンダムを大きな物語が存在した作品として、
現代ではオタク系文化の大きな物語の喪失が述べられている。
データベース
80年代までのオタク的文化は大きな物語が深層にあり、我々は表層の原作アニメ等を
通して、深層にある大きな物語を知ろうとしてきた。
しかし90年代以降のオタク的文化は小さな物語の集合(データベース)を
深層とし、公式と二次創作(シミュラークル)による表層を通じて、我々は深層を知ろうとする。
その他キーワード
動物→自然と調和していきる。メディアという環境により思うままに消費するアメリカ社会的
人間→与えられた環境を否定して生きる。自然との闘争。
スノビズム→与えられた環境を形式化された価値(=儀式)によって否定する。
シニニズム→世界の実質的価値を信じない。だからこそ形式的価値を信じることをやめられない。
欲求→他者なしに満たされる
欲望→他者の存在なしには満たされない